とにかく、私はもう「この国が何なのか分からない」という瞬間を迎えています。それは外国人が多すぎるからではなく、皆がもっと建設すべきものよりも、皆がもっと建設すべきものを減らすべきだという方向に私たちが熱意を燃やしているからです。